テサグループの歴史・沿革
私たちテサグループの始まりは、絆創膏の開発に失敗したこと。1890年にオスカー・トロプロヴィッツ博士が研究ラボを引き継いだとき、薬剤師のパウル・C・バイヤスドルフは絆創膏の試作を進めていました。粘着力には優れていましたが、素肌に貼ると皮膚に炎症が生じてしまう欠点を克服することができませんでした。トロプロヴィッツ博士は粘着力の良さに着目して発想を転換。1896年のドイツで初めて「絆創膏ではない」粘着テープを発売しました。
私たちテサグループの始まりは、絆創膏の開発に失敗したこと。1890年にオスカー・トロプロヴィッツ博士が研究ラボを引き継いだとき、薬剤師のパウル・C・バイヤスドルフは絆創膏の試作を進めていました。粘着力には優れていましたが、素肌に貼ると皮膚に炎症が生じてしまう欠点を克服することができませんでした。トロプロヴィッツ博士は粘着力の良さに着目して発想を転換。1896年のドイツで初めて「絆創膏ではない」粘着テープを発売しました。
私たちテサグループは、業務用や一般家庭向けの粘着テープをはじめ「くっつける」技術を応用した接着ソリューションを世界中にお届けしています。テサの歴史と共に、粘着テープも進化を遂げています。現在から過去へ、これまでの歩みを遡ってご紹介します。
ベトナム北部にある港湾都市のハイフォン。アジアへの供給を担う大規模な製造拠点をこのハイフォン市に新設することが正式に決定しました。
投資額はおよそ5,500万ユーロ。アジア市場での存在感をさらに強め、アジア圏のお客様やサプライヤー様との距離を縮めます。物理的に近く位置することで、強固なサプライチェーンの構築を目指します。
中国・蘇州にある製造拠点の拡張を開始。投資額はおよそ3,000万ユーロ。クリーンルームの製造ユニットを新たに導入しました。急速に需要が成長するエレクトロニクス業界向け製品の製造キャパシティが向上します。さらに、顧客が実際に使用する環境を再現して検証できる設備「カスタマー・ソリューション・センター」の拡張も進められます。
オランダのPolymount International BVが保有するTwinlock(ツインロック)部門を完全子会社化。ヨーロッパで成長を続けるフレキソ印刷の分野で、特殊な技術で版を固定する技術を継承しました。
続いて、英国・ロンドンのFormFormForm Ltd.が保有するSugru®(スグル)ブランドを吸収合併。コンシューマー事業の強化と「モノを修理して長く使う」サステナブルな商品の強化を狙います。
さらに米国・マサチューセッツ州のFunctional Coatings(ファンクショナル・コーティング)を吸収合併。建築業界で使われている透湿防水シートや防水テープに特化した特殊な加工技術を継承しました。
ドイツ・ハーナウのnie wieder bohren ag(ニー・ウィーダー・ボーレン)を吸収合併。コンシューマー向けのDIYグッズをくっつける接着剤の技術により、テサグループのスマート・マウンティング・システムの可能性がさらに広がります。ドイツのホームセンター1,500店以上で、装いを新たにしたテサ・バスルームアクセサリーを販売開始しました。
ノルダーシュテット州のハンブルク空港の近くに自社ビル3棟からなるテサ・キャンパスを建設しました。3年間もの長い時間を要したこのプロジェクト。この年に本社機能と研究開発部門、テクノロジーセンターの3つの機能が集約され、無事に移転が完了しました。キャンパス新設と移転にかかった費用は1億6,000万ユーロ。テサ史上で最も高額な投資となりました。
これまで達成できなかった「10億の壁」をとうとう打ち破り、事業年度2012年が史上最高の売上高を記録しました。2013年のプレス・カンファレンスでこのニュースが発表され、テサにとって新しい時代が始まりました。
強力な接合を可能にする新しい種類の両面粘着テープとして、tesa® ACXplus(テサ・エーシーエックス・プラス)シリーズが新登場。既存製品を上回る耐久性と性能を誇るこの製品は、様々な素材の被着体に対しても強力に接着でき、異種材料の貼り合わせで生じる応力を緩和する粘弾性に優れています。
環境保護に対する意識の高まりを見据え、一般消費者向けの商品の中から環境に配慮した商品を集約したサブブランド、tesa® EcoLogo(テサ・エコロゴ)を立ち上げました。サステナビリティへの取り組みの先駆け的存在となりました。
最新鋭のクリーンルームユニットを新たに導入。さらに、世界で唯一のACXテクノロジー(溶剤を使用せずアクリル系粘着剤を塗工する技術)を応用した製造ユニットを導入。ハンブルク工場で製造される製品が新しいレベルへと進歩しました。
Labtec Gesellschaft für technologische Forschung und Entwicklung mbHを完全子会社化しました。Labtec(ラブテク)は、医薬品の有効成分を従来の錠剤とは違う形態で投与する技術の研究開発している企業です。その中でも、経皮吸収システムまたは口腔内溶解フィルムとも呼ばれる、有効成分パッチの技術に特化しています。
国連グローバル・コンパクト(UNGC)は、国連と民間企業・団体が協力してサステナブルな社会の実現を目指す枠組みです。グローバル・コンパクトの10原則は人権の尊重、労働基準、環境保全、腐敗防止の4つの分野からなり、私たちの事業活動でベンチマーク的な存在となっています。
自動車やエレクトロニクス業界のお客様が多いアジア市場に製造拠点を新設しました。中国東部の江蘇省に位置するこの蘇州新工場には、研究施設も併設。目覚ましい発展を続けるアジアのお客様に対し、迅速かつきめ細かく対応できる拠点を目指します。
ドイツ・オッフェンブルク工場に、自社で独自開発した新しい製造ユニットを導入。溶剤を使用しない(溶剤フリー)技術の実用を開始しました。溶剤を使用しないことで、環境への負荷低減が期待できます。はじめは、塗装で使われるマスキングテープ製品の製造に使われました。これ以降、他の製品も続々と新しい製造技術へと切り替わっていきました。
これまではバイヤスドルフ社の中の「テサ事業部門」でしたが、この年に新会社を立ち上げ独立しました。バイヤスドルフグループの100%出資により、tesa AGが誕生しました(現在はtesa SE)。
粘着テープは製紙・印刷工場で欠かせない存在です。巨大なロールをつなぐ(継ぐ)工程が難しく、失敗すると生産効率が著しく下がってしまうことが業界共通の悩みでした。特にtesa® EasySplice(テサ・イージースプライス)は「フライングスプライス」と呼ばれるつなぎの手法に特化。製紙・印刷業界をターゲットとした粘着テープ市場において、グローバルリーダー的存在へと成長しました。
ドイツ・マンハイム出身の科学者2名が、テサの片面粘着テープにデータの保存が可能であることを発見。テサと共同でtesa Scribos(テサ・スクリボス)を創立して実用化を進めました。記憶媒体のROMとして市場へ登場するまでには至りませんでしたが、この技術が応用された粘着テープは正規品と偽造品を見分けることができる特殊なステッカーに。サプライチェーン内での盗難被害防ぐ役割を果たします。
粘着テープの端を掴んで引っぱると、ベタベタが残らずきれいに剥がせるtesa Powerstrips®(テサ パワーストリップ®)が誕生。のちに他社メーカーから多数の類似商品が発売されましたが、この技術を最初に生み出したのはテサでした。
tesaというブランド名は、立ち上げ当初からそのままです。1990年に初めて採用した新しいブランドロゴは、両面粘着テープのライナー(剥離紙)をめくるような動きを盛り込んだデザイン。
90年代から一貫して、現在でもこのロゴデザインを使用しています。大きなデザイン変更を行わないことで、ブランドの不変性を象徴しています。
ヨーロッパの住宅には「網戸」という概念がありません。専用のサッシがなくても虫よけネットを設置できるtesa® Insect Stop(テサ・インセクト・ストップ)は、害虫との戦いに終止符を打つ画期的な新商品でした。登場してすぐベストセラーの仲間入りを果たした大ヒット商品です。
25周年のアニバーサリーイヤーに、ドイツ・オッフェンブルク工場を拡張しました。大規模な製造設備が導入され、この年に操業を開始。敷地面積が4,000平米から65,000平米へと拡大し、大規模な工場へと生まれ変わりました。
アメリカのミシガン州にあるスパルタに、大規模な製造拠点を建設しました。これまで製品はすべてヨーロッパで生産していましたが、テサグループとして初めてヨーロッパから外へ飛び出しました。自動車業界向けの製品をはじめ、業務用の粘着テープ製品がこのスパルタ工場で製造され、世界各国へ届けられています。
バイヤスドルフ社のなかで、4つの事業部門が誕生しました。コスメ(cosmed)、ファーマ(pharma)、メディカル(medical)、そしてテサ(tesa)です。バイヤスドルフが抱えるブランドの1つだったテサが、1つの事業部門へと成長した瞬間でした。
この頃のドイツでは、テレビCMがきっかけでテサというブランドが広く知れ渡りました。その中でも、大ヒットしたCMが「カティとダディ」です。ちょっと生意気なおてんば娘が、粘着テープを使って散水ホースを修理する方法を父親に教えてあげるという内容です。
当時は日曜大工(いわゆるDIY)は男性のものと認識されていて、この少し前の時代は子供たちが両親に対して友達のように振る舞うことは到底許されない時代でした。ドイツで女性解放運動が始まったのは、この4年前になる1968年。毎週金曜日、夕方のニュース番組の直前に放映されたこのCMが、時代の移り変わりを象徴するものとして人々に大きな衝撃を与えました。
終戦後のドイツでは、多くの建物がボロボロで質の良い建築資材も枯渇していました。高額な費用をかけて住宅を修理することもできず、極寒の冬の時期を迎える人々は途方に暮れていました。そんな時代に誕生したのが、tesamoll®(テサモール)です。窓枠やドアのすき間をふさぐことができるプラスチックのフォーム素材でできた片面粘着テープです。この素材が開発されてから1年後、テサモールという商品名で発売されると、瞬く間にヒットしました。この商品の後継品は、現在も世界中で販売されています。
「モール」という商品名の起源は、ラテン語で柔らかいという意味の「mollis」とドイツ語で快適な暖かさという意味の「molling」からとっています。断熱性に優れるため、気温の高い地域でも重宝されています。
この頃、現在もヨーロッパ各国で家庭向けに販売されているtesacrepp®(テサクレープ)マスキングテープとtesafilm®(テサフィルム)セロハンテープのもととなる商品が誕生しました。これを機に粘着テープの商品はすべて統一ブランドの「tesa®」へ。それぞれの商品名はサブブランド(商品カテゴリ)として展開していくことになりました。この頃は、真四角のブランドロゴが使われていました。
今や家庭用品として当たり前のセロハンテープ。ドイツではtesafilm®(テサフィルム)の商標がドイツ語の辞書に掲載されるほど浸透しています。生みの親は、当時25歳でバイヤスドルフ社に入社したばかりの青年、フーゴ・キルヒベルクです。まだ規模の小さかった粘着テープ事業を大きく飛躍させるという夢を掲げ、新商品の開発に乗り出しました。発売当初は「tesa adhesive film(テサ粘着フィルム)」という商品名で売り出します。その後、さっと使える専用の卓上ディスペンサーを開発し、ドイツで特許を取得しました(DE661115C)。
この頃、tesa®という名前は様々な製品のブランドに使われていました。そのうちの一つが、バイヤスドルフ社が販売していたPebecoという歯磨きペーストの容器。このtesa tube(テサチューブ)という商品は、端のネジを回すと中身のペーストが押し出される仕組みが特徴でしたが、人気がなくすぐに生産終了してしまいました。
tesa®のブランド名は、バイヤスドルフ社で従業員として働いていたElsa Tesmer(エルザ・テスマー)という女性が考案しました。1903年4月に事務員として入社した彼女は、1908年10月に退職する頃にはオフィスの責任者を務めたビジネスウーマンでした。1906年に自身の苗字(Tesmer)と名前(Elsa)からそれぞれ2文字ずつとった「tesa」が誕生しました。
医療用の絆創膏の開発に失敗したことがきっかけとなり、粘着テープが誕生しました。1890年代、バイヤスドルフがつくった絆創膏の試作品は皮膚に強くつきすぎ、炎症を起こしてしまいました。粘着力の素晴らしさに着目したトロプロヴィッツ博士は、自転車のパンク修理に活用することを思いつきます。「スポーツ絆創膏」という製品名で販売するように助言しました。
販売を開始した1896年は、道路の状態が悪くタイヤのパンクが日常茶飯事だったこともあり、画期的な商品としてヒットしました。医療用の絆創膏を除き、初めて市販された粘着テープになりました。失敗しても諦めない姿勢や、発想の転換をおこなうマインドは、いまの私たちにも受け継がれています。